交通機関におけるシェルターとプロジェクトアワード

アルコールストーブの既製品で最も著名な物は、軍需品としての採用実績もあるスウェーデンのトランギア社製のシングルバーナーストーブであろう。同社の製品は個人用シングルバーナーのみならず様々な用途に適した大きさのアルコールストーブが揃えられている。固形燃料化されたアルコール燃料としては、en:Sterno社製のジェル状アルコールが著名である。このジェル状アルコールは後述の加圧式液体燃料ストーブのプレヒート作業に使用される事も多い。なお、アルコールストーブはアルミ缶等の円筒形のプルトップ缶を用いて自作する事も可能である。その為、海外ではアルコールストーブの事をen:beverage can stoveやPepsi can stovesと呼ぶ場合がある。スピリッツストーブとは、燃料にスピリッツを用いる大型ストーブである。燃料タンクはバーナーの横または後方に配置され、自然流下の形でバーナーに燃料を供給する。そしてバーナーヘッド自体の熱でスピリッツは気化が促進され、燃焼状態が維持される。スピリッツストーブはアルコールストーブと比較して大火力であり、プレヒートなどの作業も他の液体燃料式ストーブと比べて簡易な事から、伝統的にプレジャーボート等の船舶に備え付けられる可搬型ストーブとして多用されてきた。しかし近年ではより大火力で燃料の管理も楽なプロパンガス式ストーブに置き換えが進んでいる。



似たような行楽にはハイキングがあるが、こちらは「てくてく歩く」という意味あいがあり、行楽地まで徒歩で移動することのほうに主体がある。ピクニックではその移動の過程は重要視されず、より純粋に戸外で食事や行楽をすることに重点が置かれている。ピクニックという風習は、ヨーロッパ貴族の狩猟遊びで栄えた。その当時は配膳などに使用人を配するなど、戸外で食事をすることを贅をこらして楽しむ傾向が見られたが、これは後に大衆化する過程で簡略化され、家族やカップルないし遊び仲間など少人数で楽しむ際に、食器を使わないでも食べられる簡便な、それでいて「食べる」という娯楽性を付与した食事が供される。日本では公共交通機関の発展や大衆車の普及にも伴い、気軽に自然環境の豊富な郊外に出かけることが可能となり、ハイキングよりも気軽な戸外でのレクリエーションとして好まれていった。米国でも、自動車の普及はピクニックを楽しむ大衆にとって切り離せない要素となっている様子が見いだせる。いわゆるミニバンなどファミリーカーの中には、こういった気軽な野外活動に特化したオプションを備えたり、その機能を付与するための製品も見られる。



日本においては、717年に泰澄和尚が開山した白山、701年に越中の国司の息子有頼が開山した立山など、宗教にまつわり山を開いたとする開山縁起が残っている。都良香の富士山記に、富士山頂の様子の記述がある。鎌倉時代・室町時代以降、山に関する記録が減っていくが、上記のヨーロッパについてと同様、何らかの理由で記録を残さなかったのか、実際に人が山に入らなくなったのかは不明である。日本において、宗教目的以外で記録される著名な登山といえば、安土桃山時代、1584年12月の佐々成政による「さらさら越え」である。しかも、これは比較的容易な無積雪期ではなく、冬季の積雪期に敢行されたという点でも注目されている。ルートは、立山温泉-ザラ峠-平の渡し-針ノ木峠-籠川の経路が有力視されているが、確証はない。立山の一の越-御山谷ルート、別山-内蔵助谷ルートをとったという説もある。ザラ峠とは安房峠のことを指す、佐々成政は安房峠を越える鎌倉街道を通って越中富山-遠江浜松を往復したのだ、という説もある。



また1990年代以降、スキーや自転車によるオリエンテーリングの普及も図られ、これらと区別するために、従来からのクロスカントリー走に基づくオリエンテーリングをフット・オリエンテーリング、または略してフット-Oと呼称する場合もある。オリエンテーリングの起源は、19世紀後半にスカンジナビアで行われていた軍事教練に求められる。競技スポーツとしてはノルウェーで始まり、Tjalve Sports Club主催によりオスロ近郊で開催された1897年10月31日の大会が最初のものである。この時のコースは現在の競技基準からすれば相当長いもので、19.5kmもあり、コントロールはたった3つだけ置かれたものであった。ペダール・フォッサムが1時間47分7秒で優勝した。最初の大規模なオリエンテーリング大会は1918年にスウェーデンのストックホルムでエルンスト・キランダーにより開催された。キランダーはボーイスカウト運動の指導者であり、後に青少年に陸上競技を学ばせる機会としてスポーツに傾倒していた。この最初の大規模な大会は、ストックホルム南部で開催され、220名が参加した。キランダーはルールの制定とスポーツとしての位置付けの開発に腐心し、今日の北欧諸国では「オリエンテーリングの父」として広く知られている。その後、方位磁針の改良と共に、1930年代には一般への普及が進んだ。最初の国際大会は1932年にスウェーデンとノルウェーのオリエンティアの集めて開催された。1933年には、スウェーデンのコンパス会社シルヴァが新しいコンパスデザインのプロトラクターコンパスを開発した。サム・コンパスの開発まで、プロトラクターコンパスは長らくオリエンテーリング競技における中心的役割を担った。1934年までには、100万人以上のスウェーデン人たちがオリエンテーリング競技に参加するようになり、フィンランド、スイス、ソ連、ハンガリーに広がっていった。フィンランド、ノルウェー、スウェーデンの3ヶ国では国内選手権大会が開催されるようになった。スウェーデンのオリエンテーリング協会が1936年に創設され、一国の統括団体としては世界初のものとなった。



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